名が栄え、人が集う会社であり続ける
山田 健雄氏 (株)名栄社
会員の人生観から学び合う「人間性を語る夕べ」。経営の「人間性」が最も集約されると話題になり、自らの課題に気づく場として開催しています。
「死んでたまるか」
報告者の山田健雄氏は、同友会に入会し30年。この機に63年間の人生を辿る報告をしていただきました。
子どもの頃は、引っ込み思案な性格と自己顕示欲がせめぎ合う時代を過ごしました。中学校時代は「ほどほどに出来が良く、おもしろい人物」が定評となり、高校では学校祭の実行委員長に立候補し、成功に導きました。
一見、青春を謳歌したと思われる山田氏ですが、中学生までは病弱で、すぐに発熱し寝込む子どもでした。二十代前半には大病を患い、異常な心拍数に「死んでたまるか」と心の中で何度も叫び、生への執着を強く意識したといいます。こうした青年期の体験は、山田氏の死生観や感謝の念を一層深いものにしていきました。
経営者への道
二十代後半では学生時代とは一転、自分とは考えの違う人たちに揉まれ、器の小ささを突きつけられます。自らの弱点に直面し焦る中、33歳で同友会に入会。本音での議論、切磋琢磨する学び合い、酒を酌み交わし語り合う時間は、かけがえのないものとなりました。
40歳で経営姿勢の確立を自覚し、43歳で社長に就任。社長としての役割を真剣に考え、経営指針の発表、強みの確立など、無我夢中の40代を過ごします。50代で苦労をかけた親を見送り、「受け継いだ精神を残したい」と強烈な思いに駆られます。ここが本当の意味での自立であり、経営姿勢を確立する中で、人間性を深めることを意識してきたと山田氏は胸中を語りました。
同友会で積極的に活動しようと自らに課してきたという山田氏。それは、頭でっかちな自分だからこそ磨きをかけねばならないと思ったからといいます。現在は息子が入社して4年、ブレーンを育てる年代に入りました。20年間の指針経営を継続し、支え合う社風、独自性ある企業づくりを通じて、「社会へ前進的な貢献をしていきたい」と報告を締めくくりました。