活動報告

人を生かす経営推進部門&障害者自立応援委員会(7月12日)

経営者の人生観から人間性を深める
~「人間性を語る夕べ」(13)

辻 孝太郎氏  昭和鋼機(株)

辻 孝太郎氏

人を生かす経営推進部門と障害者自立応援委員会で今年度の重点活動である「人間尊重経営の実践」の学習会を開催しました。辻孝太郎氏の報告要旨を掲載します。

私の人生訓

昭和鋼機は設備業として1963年に設立、社員数は現在87名です。私は2代目として継承し15年、同友会に入会し14年となります。

経営理念は3年前に見直し、「私たちは、安心して働ける職場づくりに邁進し、社会から必要とされる『便利で万能な設備会社』をめざします」としました。コロナ禍の際に世の中が大きく変化し、社員が「安心できる職場」を望んでいると知り、経営理念の冒頭に位置付けました。

私の人生訓は「身の丈を意識した人生」です。目標に向け、十分な準備と努力の上で今の自分の精一杯で向き合う「身の丈」という意味で、自らに甘んじることのない成長の可能性を秘めています。この人生訓は、経営においても貫いています。

なぜ、この教訓が生まれたのか、それは父から教えられた「心訓七則」にあります。父は私が小学校に上がると、毎朝犬の散歩の後に「心訓七則」を読むように言いました。読まないと朝食が出てきません。それが6年間続き、そらで言えるようになりました。

「心訓七則」は7か条からなり、中でも私が素直に「自分事」として捉えたのが次の3か条です。

  • 世の中で一番みじめな事は 人間として教養のない事です
  • 世の中で一番みにくい事は 他人の生活をうらやむ事です
  • 世の中で一番尊い事は 人の為に奉仕して決して恩にきせない事です

これらが人生訓の基になっています。

勇往邁進 我が道を往く

小学校時代から大好きだった野球部が中学校には無く、野球部をつくりたいと学校に直談判しましたが聞いてもらえませんでした。だったら自分でつくればよいと有志の1年生チームを結成し、野球大会に出場しました。他のチームは2年、3年生の強者ぞろいで、勝てるはずはありません。しかし、唯一挙げられた得点がとてつもない達成感となり、人生の楽しさ、おもしろさを体験しました。

また、父は私を取引先や出張先に連れて回りました。その度に「時間は守れ。人や物は大切にしろ。経営者は社員の何倍もの家族の生活を支えていると心得よ」と言われました。その頃から、なんとなく経営者を志すようになっていきました。

中学生活も後半になると、厳しく育てられた反動で横道に逸れ始めます。新聞配達で小遣いを稼ぎ、遊んでばかりの日々を過ごした結果、高校受験に失敗しました。父と教師の勧めで定時制高校に通い、昼間は鉄工所で溶接工として働きました。しかし、その高校も、若気の至りか3年で中退してしまいます。

当時、夢中になっていたのがサーフィンでした。バリ島の波に憧れ、1人現地に向かいましたが、手違いでホテルに宿泊できず野宿となってしまいました。当時は今ほど環境も整備されておらず、治安のほどもわかりません。不安と焦りが高まる中、為す術のない自分の無力さが情けなく、「このままではいけない」と痛切に思いました。この経験が、私の人生観を大きく変えることになります。

ある日、父から唐突に「人の上に立つには大学くらい出よ」と言われ、心に火がつきました。定時制高校に復学、2年間の猛勉強で卒業し、大学に合格しました。夜間の定時制高校とは違い、明るい日差しの教室で学ぶ嬉しさをしみじみ味わったものです。

卒業後、取引先の会社で修行し、営業力を身に付けました。5年後、昭和鋼機に入社すると、旧知の社員は歓迎してくれましたが、不在の5年間に入社した初対面の社員からは、「社長の息子のお手並み拝見」という視線を感じました。さまざまな点で大手企業と中小企業のギャップを感じましたが、それを話題にすると社員から煙たがられ、父からも怒られました。

父は、すばらしい経営者でしたがワンマンで、それをリスペクトする社員だけが残るという状況でした。自分も将来が不安で、39歳で転職しようとしますが、面接官に転職の理由を尋ねられ「会社の方針に納得がいかない」と答えると、「うちの会社でも同じことが起こったら辞めるのですね」と返され、ぐうの音も出ませんでした。

社内の問題に向き合う

転職は断念し、昭和鋼機で働き続けました。44歳で会社を承継しましたが、営業の延長の「名ばかり社長」として暮れる日々。社長の役割に悩む中で出会ったのが同友会でした。

諸先輩から飛び出す金言の数々、中でも突き刺さったのが「人はいつかいなくなる。会社はなくなるようにできている」「自社の強みがわかっているか」の2つでした。そこから猛烈に、SWOT分析、採用活動に動き出しました。社内で起きている問題に向き合う、社員の声に耳を傾ける、その繰り返しで徐々に会社が変わってきました。

振り返れば、常に「ないのであればつくればよい」と、がむしゃらにやり続けてきた人生でした。問題は小さいうちに片づけること――父の遺言です。小さな問題に火がついてしまい、それが大きな火になることもあるでしょう。しかし、雨降って地固まるとも言います。思い切って果敢に取り組む姿勢を持ち続けていきたいと思います。