活動報告

どうゆうき

▼戦前「東洋のパリ」とも言われた中国の大連は、日本の植民地として一見自由な繁栄を見せていたが、他民族の抑圧の上に咲いたあだ花でしかなかった。それも徐々に「統制と動員」が忍び寄り、キャバレーやダンスホールの灯が消えた。統制と動員は、「自主と自立」を基盤とした中小企業を根こそぎ廃業へ追いやり、「軍需産業」の大企業化を推し進めた。若者は戦場へ、年配の商店主や中小企業の社長などは軍需工場へ工員として徴用されていった

▼統制と動員は社会の全分野に及んだ。作家や画家は将校待遇で戦地へ派遣され、作品は国内の戦意高揚に利用された。意に反した者は冷遇され、反抗的な者は監獄にさえ送られた。芸能人は「鑑札」所持者でなければ出演できず、学生や生徒は徴兵猶予の廃止や軍需工場への勤労動員、軍隊への志願、果ては「特攻隊」への動員にも及んだ。それらの若者は国政参加の選挙権(当時は25才以上の男子)もなく死んでいった

▼昭和19年、日本は敗北の気配を予科練教育にも漂わせ、各種特攻訓練基地配属へと向かう。10月、最初の「神風特別攻撃隊」がフィリピンのセブ島基地を飛び立った。そして米軍による原爆投下まで、多くの尊い命が散っていった

▼こんな経験を二度と繰り返さないよう、歴史を真剣に学んでほしい。平和は創る努力なしには守れず、武力の拡大には絶望しか見えてきません。一人ひとりができることを積み重ねていく、それが平和の創造になるのです。戦後71年、曲がりなりにも平和を守ってきました。私は信頼して皆さんにバトンを託します。

名誉会員  浅海 正義