活動報告

第48回中同協定時総会 第3分科会(7月14~15日)

戦争と中小企業
~いまこそ平和を考える学習運動を

植田 浩史氏  慶應義塾大学経済学部教授
浅海 正義氏  みらい経営研究所

7月14~15日に大阪で中同協第48回定時総会が開催され、全国より1306名が参加しました。

1日目に行われた第3分科会では、「戦争と中小企業」のテーマで、植田浩史・慶應義塾大学教授による研究報告と、愛知同友会創立会員の浅海正義氏による第2次大戦当時の体験報告および平和問題の論議についての問題提起が行われました。

植田浩史氏/慶應義塾大学教授

植田 浩史氏

植田 浩史氏

総力戦化した戦争と不足の経済

20世紀からの戦争は、19世紀以前とは大きく変わって大規模かつ長期化するものとなり、参戦国は国力全てを戦争に動員していく「総力戦体制」を敷くようになりました。

戦時下で集中的に生産される軍需品は消耗品であり、再生産や経済循環につながらず、あらゆる資源が不足する「不足の経済」となり、このため戦時の国家は、人・モノ・カネの回収・分配を統制するようになります。

中でも第二次大戦時の日本は深刻な「不足の経済」に直面し、国家統制の範囲は大きなものとなり、国民の生活は戦争一色になりました。

中小商工業の戦時統制

日本では1930年代に、昭和大恐慌後の重工業化・民需拡大により、下請の中小工業が急増しました。

1937年に勃発した日中戦争は泥沼化・長期化し、日本は深刻な「不足の経済」に陥っていきます。

日本政府は不足している原材料を軍需産業に集中し、生産力を高めるために、全国すべての中小商工業が統制されていきました。国家は戦時統制の強化手段として、すべての中小工業を強制的に工業組合化しました。いわば「上からの組織化」です。

そして要求される戦時生産の実現手段として、中小工場の「協力工場」という名の下請工場化と、工業組合を通じてしか行えない受注制度がとられました。戦時にはさまざまな業種が軍需生産に強制動員され、戦時生産の中では事業の維持・拡大は許されましたが、「自由」は否定され、「協力」を強制されました。

従来の生産品は、種類や価格まで厳しく指定され、仕事のほとんどを軍需生産に転換させられました。

また、戦争が長引くにつれ原材料不足は深刻化し、仕事がなくなっていく中小工場の一部は、満州への移駐に動員されていきました。植民地の支配者として事業を行いましたが、敗戦と同時にすべてを失うことになります。

軍需以外は統廃合

軍需以外の民需関係や商業は「不要不急産業」とされて、「企業整備」と称する統合・転廃業を強いられ、従事していた人々は労働力として利用されたり、兵役に就くことになりました。戦争に使えない「不要不急」とされた多くの中小工業は、その存在すら否定されたのです。この企業整備はあらゆる産業に対して徹底されました。その結果、産業構造がいびつになり、国民の生活水準の著しい低下を招くこととなるのです。

戦時統制の経験が、「自主」「民主」の原点

このように、中小企業家同友会の創立会員経営者は皆、戦時のありとあらゆる統制により、自由を徹底的に奪われ、存在を否定された経験をしました。

この経験が、同友会が1957年の創立当時から非常に重んじている基本精神「自主」「民主」の原点となっていると強く感じます。

平和の中でこそ中小企業は発展することを実感

平和の中でこそ中小企業は発展することを実感

平和な世の中でも「戦争」はすぐそこに

1945年に日本は敗戦し、統制からの解放感と復興に向け、多くの中小企業が誕生しました。そして9条で「戦争放棄」を謳っている日本国憲法のもと、ほとんどの国が戦後も戦争や紛争に関わる中、日本は「戦争をしない国」として経済発展を遂げてきたのです。

しかし現実には大戦後も、朝鮮戦争やベトナム戦争など、日本企業も間接的には戦争に関わってきました。

また現在は経済のグローバル化が進み、最近では武器輸出三原則の見直しなどもあり、中小企業が「戦争」に関わる危険性は常に存在し、より一層高まっていると感じます。

戦争に関して誰もが考えていかなければならない、そういうことが問われる時代に入っていることを、最後に指摘しておきます。

浅海正義氏/愛知同友会創立会員

浅海 正義氏

浅海 正義氏

戦争に突入する時代に翻弄される

私は1928年に大阪で生まれました。当時は関東大震災や昭和大恐慌が起こり不安定な社会情勢でした。私の家族は横浜から大阪へ移住し、また横浜へ戻った後、1933年に中国の大連市に移住したと聞きます。

その後、日本が戦時体制を強める中、生活や文化・教育などあらゆる分野で産業同様に「統制」と「動員」が推し進められ、私たち個人の生活も大きく影響を受けていくことになります。

なお、政府による統制のための土台作りは、治安維持法の制定など、20世紀初頭から始められていました。

そして1937年の日中戦争勃発以降、急速に国家統制が強められ、国家総動員体制が敷かれていきました。

何もかもが統制・動員

戦時統制は産業だけでなく、国民生活や、それ以外のあらゆる分野に及んだのです。

私は1940年に大連の商業学校に入学しました。しかし商業は戦時の日本にとって「不要不急」のため統制の対象となり、1944年にその学校は閉鎖となりました。校歌や唱歌などの歌詞も、「勇ましい」内容へと変えさせられたのを覚えています。

画家なども、戦争への協力度合いによって「甲乙丙」に分類され、「戦争画」を描くために戦地へ動員されました。戦意高揚につながるなど戦争に協力的な「甲種」の画家は厚遇され、逆に戦争に非協力的な「丙種」の画家はほとんど無視されたり、反抗的な者は捕まり監獄送りにさえなりました。

このように戦時とは、産業だけでなく、生活も教育も文化も、ありとあらゆる面が統制され、戦争のために動員されていった時代でした。戦争と平和の問題を考えるにあたり、この「統制」と「動員」が極めて重要な点だと思います。

私たちは平和問題をどう議論すべきか

さて現代の私たちは、戦時の事を学び、平和についてどのように考えていけばよいのでしょうか。

同友会内で平和問題を議論しようとすると、「政治的」であり、会が分裂しかねない、と及び腰の意見が聞かれます。しかし同友会は、どんな問題についても議論を積み重ね、お互いが自ら考えて、納得できるところを模索する会のはずです。

また、同友会は意思決定手段として多数決を用いませんが、その理由に重要な民主的観点があります。

私は、人間同士の認識の区分として「誤解、理解、納得」の違いがあると考えています。多数決では賛成・反対・保留の2元論や3択にならざるを得ず、誤解を超えて理解・納得へと議論を深めるには不十分な方法です。

多数決ではなく、どんな対立する少数意見も尊重して議論を重ねることを通じ、お互いの誤解をなくし、理解を深め合い、そして全員が納得できる総体的・総合的な合意点に至り、最後に満場の拍手をもって決める。これこそ同友会での議論のあり方であり、私はこれが「21世紀型の民主主義」の姿ではないかと思います。

「自主・民主」の精神で、広く社会的に議論を

国が戦争に向かうとき行われるのが「統制・動員」であると述べましたが、これに対抗する立ち位置にあるのが、私たち同友会の基本精神である「自主・自立」であり「民主」であることを改めて思います。

お互いを尊重し、信頼し合う中で、議論を深め、また会員間だけでなく、社員や地域社会とも絡ませて、平和問題を主体的に考え続けていきましょう。

【文責 事務局 政廣】