活動報告

愛知同友会60年の歩み(第3回)「道なきみち」を歩んで

70年代、転換期を迎えて

懇親パーティーで全員が肩を組み、新生愛知同友会の発展を誓い合う
(第15回定時総会/1976年5月22日)

高度成長から安定成長の時代に

1971年8月のドルショック(ニクソンショック)、73年10月の第1次石油危機(オイルショック)と、70年代は、それまでの高度成長から低成長経済への移行といった「激動の70年代」でした。

そんな中、愛知同友会は69年11月に設立された中小企業家同友会全国協議会(以下、中同協)と連携し、活動を進めていきます。

中小企業にとって厳しい外部環境に置かれながらも、同友会理念の明確化(73年)と経営指針の成文化による経営体質の強化を中心にした活動を展開します。

76年5月の第15回定時総会において、会の名称が名古屋中小企業家同友会から愛知中小企業家同友会(以下、愛知同友会)に変更。

70年4月には260名だった会員数も、78年4月には1100名で迎えます。

1978年4月には1100名会員を達成する

「低成長不安定時代の経営方針」

同友会らしい企業づくりの前提条件として広く認識されているのが、経営指針の成文化ですが、その提唱は今から47年前、愛知同友会から始まりました。

1975年3月に開催された愛知同友会第14回定時総会において「低成長不安定時代の経営方針(案)」として次の8項目が提案されます。

  1. 経営理念の確立、点検と徹底こそ急務
  2. 志気の高い社員づくりと機能的な組織を
  3. シェアの拡大と危険分散型の下請形態に
  4. コストダウンの徹底
  5. 資金効率を高めよう
  6. 開発改良に力を注ごう
  7. 社外に色々なブレーンをもとう
  8. 経営者としての自己啓発に全力を
経営指針を提起した第15回総会(1976年5月22日)

「長期不況下での経営を発展させる為に」(経営指針)

その後、「経営方針」は「経営指針」と名前を変え、定時総会のたびに確認され、その内容が充実します。

1976年の第15回総会では、「長期不況下での経営を発展させるために」(経営指針)として、これまでの8項目の内容を発展させるとともに、「世界的な視野で経営しよう」「経営者は社員の3~5倍勉強しよう」の2項目が追加され、10項目となります。(詳しくは愛知同友会50年史「道なきみちを」303~308頁をご覧ください。)

また、78年の第17回総会では、「発想を転換して業種・業界を外から眺めよう~組織(企業)は事態の推移に対応して変わる」「解散しても、つぶれない企業でいよう~企業家は自爆してはならない」の2項目が追加されています。

このように「経営方針」は「経営指針」と名前を変え、その後の愛知同友会の活動に大きなウエイトを占めるようになり、定時総会のたびごとに確認され、その中身が充実していきます。

現在、同友会活動の中で重要な役割を占めている「経営指針」の作成は、この時から始まったことを確認しておく必要があるでしょう。

「3つの目的」を成文化した第5回中同協総会(1973年6月29、30日愛知開催)

自らの足元を固める ~存在意義を明確に

70年代と言えば忘れてはならないのが、73年に愛知で開催された第5回中同協総会で、現在の「同友会の3つの目的」が成文化されたことです。

並行する形で、その年4月の愛知同友会の総会では、以下の「4つのスローガン」を掲げています。

  1. 心から話し合える中小企業家の集まりにし、会員同志はお互いのブレーンになろう
  2. 自主、創造の道を拓き、信頼される経営者になろう
  3. 会外の多くの企業に呼びかけ、大きな力で発言しよう
  4. 平和と豊かなくらしをめざして、繁栄する企業になろう

表現方法はやや異なっていますが、考え方においては同じであり、より具体的であるように思われます。

このように、愛知同友会では「3つの目的」の具体化として、先述のように75年の「経営方針」、その翌年以降の「経営指針」の取り組みに結実していくとともに、全国の同友会にこの先駆的試みを発信していきます。

70年代は、経営環境が激変する中にも関わらず、同友会らしい企業像や自らの足元(愛知同友会の存在意義)を固める10年間だったと言えるでしょう。

専務理事  内輪 博之