活動報告

愛知同友会60年の歩み(第5回)

「道なきみち」を歩んで
~90年代、21世紀への助走

バブル経済崩壊と「失われた10年」

バブル経済崩壊と不良債権問題

1980年代後半のバブル経済の時代も、1990年に入ると、公定歩合の引き上げ、地価税の導入、不動産向け融資に対する総量規制が行われ、バブル経済が崩壊します。

その結果、株価や地価は大幅に下落、金融機関は多額の不良債権を抱えて経営不振に陥り、1997年から98年にかけて、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行をはじめとして経営破綻をきたす金融機関が続出します。

そのため1998年10月には金融再生関連法によって、預金者保護のための公的資金の投入等が行われます。

「貸し渋り」と中小企業経営

1997年の金融危機の中で、金融機関の貸し渋り(貸し剥がし)が発生。この原因はBIS(国際決済銀行)規制(自己資本比率)をクリアするために導入された早期是正措置にありました。

早期是正措置の導入を控えた1997年秋ごろから、金融機関の「貸し渋り」(貸し剥がし)が発生しますが、貸し渋りは、資金の借り手である中小企業側の問題から発生したのではなく、あくまでも金融機関の都合によって発生したのです。

政府は1998年10月1日より保証要件の緩和等を内容とする特別保証制度を創設し、20兆円の保証規模を確保し、中小企業の資金調達の円滑化をはかります。

「貸し渋り」(貸し剥がし)問題が契機となり起こったのが、同友会の「金融アセスメント法制定」の運動です。これについては次号で述べたいと思います。

「失われた10年」

バブル崩壊後、1991年1~3月をピークに日本の景気は急速に後退を始めます。その後、長期にわたる不況に日本経済は悩まされ、98・99年度と連続して、名目GDP(国内総生産)はマイナス成長を記録します。

平成不況は様々な要因が複合して、景気の足を引っ張っていることから複合不況といわれますが、1990年代は日本経済がバブル経済崩壊の後遺症で悩まされた時代であり、「失われた10年」ともいわれています。

創立30周年と21世紀型企業の提唱

21世紀型企業像の提唱

愛知同友会は1992年7月に創立30周年を迎えました。創立30周年記念行事は「REBORN(リボーン)~飛躍発展への脱皮」を統一テーマにして、記念植樹、記念出版、記念式典、記念公演が行われます。

この中で特筆されるのが、1992年10月27日、小栗崇資(当時:日本福祉大学教授)著『小さな会社が日本を変える~実例で考える21世紀型企業像』(中経出版・1992年)の出版です。
(20周年記念出版・鎌田勝著『小さな会社は「やる気」がすごい!』中経出版・1982年に続く)

この本の中で、愛知同友会会員企業16社の取材を通して、小栗教授はこれからの中小企業像(21世紀型企業)として、3つの企業イメージを提起しました。

具体的には1つ目は学習型企業、2つ目は問題解決型企業、最後にネットワーク型企業です。

この表題に採用された「21世紀型企業」の提案は、翌1993年7月に札幌で開催された中同協第25回定時総会での「21世紀型中小企業」(以下)の提案に活かされます。

  1. 自社の存在意義を改めて問いなおすとともに、社会的使命感に燃えて事業活動を行い、国民と地域社会からの信頼や期待に高い水準で応えられる企業
  2. 社員の創意や自主性が十分に発揮できる社風と理念が確立され、労使が共に育ちあい、高まりあいの意欲に燃え、活力に満ちた豊かな人間集団としての企業

一方、「21世紀型企業」のコンセプトは、その後、愛知同友会のビジョンや活動方針の中で重要な役割を果たすことになり、1999年策定の「99ビジョン」では、それをより発展させた企業像として、「自立型企業づくり」という言葉に収斂します。

会員手づくり演劇「萌黄(もえぎ)色の季節」の上演

会員手づくり演劇「萌黄色の季節」を市民を含めて1500名が観劇(1993年2月)

創立30周年の事業でもう1つ特筆されるのが、1993年2月17日に1500名の観客を迎えて上演された演劇「萌黄(もえぎ)色の季節」で、一般市民の方を含め、感動と涙をもって受け止められました。

脚本から演出、出演者も全員が同友会会員(経営者)という手づくりの演劇で、脚本を書いた佐々木正喜氏(故人・当時愛知同友会代表理事)によると、萌黄色とは草木の芽の色で、成長し緑となり樹になる、つまり「生業から企業」への発展を意味すると語っています。

ストーリーは、「松田商事」の松田社長が同友会で学び、葛藤し、経営指針を作成し、再スタートするというもので、同友会理念の「見える化」ともいえるものです。「萌黄色の季節」の反響は愛知同友会内にとどまらず、他同友会にも波及しました。

その後、1996年2月に愛知で開催された第26回中小企業問題全国研究集会でリメイク上演され、全国同友会の会員から大いに共感を得たほか、のちに全国でビデオ上映会も行われるようになりました。

1996年2月、全国研究集会(愛知開催)で再演された「萌黄色の季節」

「99ビジョン」に結実した活動改善

5期連続の会員減少

創立以来、一時的な会員減少があったとはいえ、愛知同友会は30年間、順調に会勢を伸ばしてきました。

しかし90年代に入り、1994年の2321名をピークに、5期連続して会員数は減少、1999年には2184名にまでなります。純減137名の減少であり、5期連続の会員減少は初めての経験でした。

バブル崩壊以降、経済の停滞時期には会員数の減少はやむをえなかったとしても、90年代の不況は、愛知同友会のこれまでの活動に対して大きな反省を迫るものでした。

「それぞれがそれぞれの役割を果たす」

1998年8月、中同協組織問題交流会で鋤柄修愛知同友会代表理事(当時)は、行論の中、停滞の理由を「愛知同友会の患った大企業病である」と分析しています。

1993年より始まった愛知同友会の活動改善の取り組みの目的は、『風通しのいい組織』『それぞれがそれぞれの役割(機能)を果たす』ことにあるとし、具体的な改善内容を目的と合わせ以下のように整理しています。(表参照)

  1. 地区では同友会理念や運営原則が正確に継承されず、格差を生じ、その格差が拡大される傾向があり、「日常的に地区を支援していく支部の役割の明確化」を行う
    (『活動の手引き』大改定)
  2. 将来の5000名会員に耐えうる会組識のあり方では、『それぞれがそれぞれの役割(機能)を果たす』リーダーの役割が決定的に重要である
    (支部の役割の見直し)
  3. 委員会についても「同友会運動のスタッフ集団」として、全会員を対象とした調査・研究・提言をする会のスタッフ集団として位置づける
    (委員会の見直し)
  4. 理事会は「決議機関であり執行機関」であり、理事は各分野で「決して実行する」役員として、理事会は「議して決する」機関との位置づけの明確化を行う
    (理事の定員削減と常任理事会の理事会への一本化)
活動改善一覧(1992~2000)
1992 愛知同友会創立30周年「リボーン」
1993 活動改善プロジェクトがスタート
◎きっかけ・目的
・内部要因
(A)会勢の停滞、(B)動脈硬化(大企業病)、(C)若手事務局員の退職
・外部要因…30周年で「3番目の目的の見直し」
・メンバーは当時の5人の若手副支部長(その後、支部長→副代表理事)
・目的は「風通しのいい組織」「それぞれがそれぞれの役割(機能)を果たす」
1994 「地区・支部活動の手引き」(大改定)
「入会資格の明文化」
1996 「支部の役割の見直し」「委員会の見直し」
1997 「常任理事会の理事会への一本化」「理事定数の削減」
1999 「99ビジョン」の確定
・2つの旗印「自立型企業づくり」「地域社会と共に」
2000 「3支部への支部再編」(5支部→尾張、名古屋、三河の3支部に)
「第1期役員研修大学」(以降、毎年開催)
「事務局の活動改善-具体的な組織編成」(日常、自立、企画、総務・財務)
・地区会合に事務局は参加せず(役員が説得)

「議して決する、決して実行する」

鋤柄修代表理事は6年間の活動改善の取り組みを振り返って、「愛知の選択は、『議して決する、決して実行する』リーダー育てにあった」とし、「組識のあり方として、それぞれの役割を明確にし、責任を持ってその役割を果たします。ただ『かたち』を保障するのは『人』、とくに役員です」と、報告をまとめています。

5年間で様々な改善提案がプロジェクトから出され、1997年の第36回定時総会で規約改正が行われ、常任理事会の理事会への一本化が行われました。

理事は各組織に責任を負うメンバーに限定された35名となり、理事の総数は変化することはありましたが、この組織原則は現在も踏襲されています。

活動改善のまとめを発表する鋤柄氏(98年8月中同協組織問題交流会)

活動から運動に~「99ビジョン」

成長経済下で発展してきた愛知同友会組織を、低成長下の実態に合わせてリストラクチャリング(事業の再構築)したのが、愛知同友会の活動改善だったのです。

その後も部分的な活動改善は続きますが、その総まとめが、1999年4月24日の第38回定時総会で採択された「99同友会ビジョン」です。このビジョンでは、「自立型企業をめざす」「地域社会と共に歩む企業づくり」の2つの旗印(スローガン)を掲げています。

自立型企業とは、(1)経営指針を確立し、成文化する、(2)共同求人で将来の経営幹部を採用する、(3)「共に育つ」企業づくりをするといった「三位一体」を実行する経営体質の強い企業であり、さらに独自戦略を持った企業のことだとしています。

また、地域社会と共に歩む企業づくりでは、地域経済の担い手として中小企業と同友会運動の持つ意味と具体的な活動のあり方が述べられ、結果として5年後の2004年3月末には3000名会員をめざすとしています。

99ビジョン策定は活動から運動へと愛知同友会が脱皮する契機になったといえるでしょう。

専務理事  内輪 博之