活動報告

ダイヤモンド部会(7月31日)

120年続く企業を語る

杉野 友紀氏  (株)杉野商店

築150年の蔵空間「懐韻(なつね)」で行われた例会

7月のダイヤモンド部会では、四間道にある杉野商店の5代目、杉野友紀氏に老舗企業の歩みを語っていただきました。

名古屋商人の歴史

名古屋城の南には縦横に整然と区画された碁盤割の町人地が広がっています。江戸時代の名古屋経済を支えた商人の町ですが、実は堀川沿いの「台地の下の商人」も名古屋の台所を支え、近代の名古屋経済を牽引してきました。

碁盤割の商人の多くは「清須越し」の名家で、呉服屋・小間物や薬種業、両替商など看板(ブランド)商売をしていました。一方、堀川沿いの商人は、舟運により運ばれてきた塩・炭・材木・米・酒などを商いました。ここには運輸・流通を担う労働力市場も生まれます。こうして多くの新興商人がこの下町で経済力を蓄えました。

円頓寺エリアはもともと堀川と江川に囲まれた地価の安い土地柄です。しかし堀川や美濃路の流通業が発展することで、ニッチな商売でも生計が立つようになりました。

綿布団の普及を商機に

わが社も布団の中綿や脱脂綿など、非紡績用途の綿を専門に扱う、業界でも珍しい存在です。1904年、私の祖父の杉野正太郎が個人創業。1910年、布団の中綿用原料の卸売りに参入。かつて、わら布団を使用していた庶民に綿布団が普及し始めた頃で、商機を見出しました。

1918年には「合名会社杉野商店」を設立し、業容を拡大していきましたが、1934年に正太郎が他界。息子の孝三はまだ幼く、大恐慌後の不景気な時代で企業存続が危ぶまれましたが、当時の番頭らが結束して、危機を乗り切りました。

1950年、脱脂綿などの医療用・化粧用綿製品の原料販売に参入。徴兵された若手社員も戻り、株式会社杉野商店を設立。ガチャマン景気を享受しました。

2003年、私が社長に就任。現在、国内外100社以上の取引先に原料を供給しています。近年、環境負荷が少ないことなどから天然繊維が再度、注目を集めています。

歴史的景観を維持し地域発展にも期待

わが社の近くにある「伊藤家住宅」は清須越しの商家で、同家は江戸時代には尾張藩の御用商人を務めました。住宅は商家の屋敷の典型例として貴重な遺構になっています。名古屋市は2021年、伊藤家住宅を取得、保存活用計画を策定しました。

閑散としていた円頓寺商店街に飲食店等の出店が相次いでいます。名駅近くの歴史的景観地区として、四間道界隈が注目されています。我が社は120年企業として、地域の景観維持と発展にも、これから積極的に関わっていきたいと思っています。

(株)豆福  福谷 正男