活動報告

第64回定時総会(4月25日)全体会課題提起

【特集】労使見解50年

私、自社と『労使見解』

岡本 英次氏  トーアス(株)

岡本 英次氏

今総会の全体会にて、今年度の活動重点である「『労使見解』を基にした人間尊重の経営」を深めるべく、岡本英次氏(豊川・新城・蒲郡地区)による自社実践に基づく課題提起がなされ、これを踏まえた3つの分散会にて討議が行われました。

岡本氏の課題提起と、分散会座長報告、および和田勝相談役による全体まとめの概要を紹介していきます。

自己・自社紹介

私は現在、東三河支部の幹事長と県総会実行委員を務めながらアゴラ(経営者大学)で学んでいます。そうしたことから今回、報告者として白羽の矢が立ったようですが、磯村裕子氏にお声掛けいただいた時は驚きで目の玉が飛び出るかと思いました。

当社は流動食と一般食品を製造する食品製造業です。1955年に祖父が創業し、今年で70年です。私は1967年生まれの57歳で、昨年4代目に引き継ぎをし、現在は会長を務めています。同友会には2014年に入会しました。

『労使見解』に対する私の第1印象

皆さんの会社に労働組合はあるでしょうか。現在の労働組合の組織率は16%といわれています。同友会の『労使見解』は、13年の討議を経て1975年に発表されました。当時は東京同友会の会員企業の65%に労働組合がある時代でした。

私の『労使見解』に対する第1印象は、「古くさい」です。「いつの時代の話をしているのか」「どうしてこれが同友会のバイブルなのだろう」と思っていました。

「『労使見解』を読んでいますか?」と問いかける

労働組合との思い出

労働組合と聞くと、思い浮かぶことが2つあります。1つ目が、私が以前に修行していた会社のことです。社員が3000人もいるのに社長がワンマンで、労働組合は社長の言いなりの御用組合でした。

2つ目が、当社に入社した際に非同族の専務に言われた「労働組合ができたら抵抗せずに会社をたたみなさい。会社をめちゃくちゃにされてしまうから」という言葉です。前の会社での経験から「労働組合は大したことがない」と感じていた私は、夢と希望を持って入社してきた後継者候補に対して「会社をたため」とは何事かと思いましたが、その人は市役所の元職員で、昔の労働組合のことをよく知っており、私に忠告してくれていたのです。

同友会の先輩たちは労働問題にどう対応してきたのか
~アゴラ(経営者大学)での学び

1950年代の同友会の資料を読むと、「労働組合ができたらおしまい」という1文があります。当時の労働者は団結することで力を持ち、自分たちの要求を勝ち取ってきました。現在の連合の前身は、「人を1人でも雇えば資本家。社長の言うことを聞いてはいけない」というキャンペーンも張っており、体力のない中小企業はひとたまりもありませんでした。

しかし、中小企業家は本当に資本家なのでしょうか。イーロン・マスク氏や孫正義氏のような資本家たちと我々は同列なのでしょうか。

中小企業では、賃金をもらう側と払う側は雇用契約に基づく社会的関係であると考えます。ときに対立することもありますが、中小企業家はそれを上回る信頼関係を築くことが大切とされています。立場は違っても、互いの権利を認め合い、友好的で平和的な対話によって解決を図っていくのです。

1974年当時の主要企業賃上げ率は33%でした。今では想像できない数字です。先代である父に当時のことを聞いてみると、「大変だった。賃金が倍々ゲームで上がるから苦しい。でも当時は夢があって、来年は良くなるはずだと思えていたから頑張れた」と言っていました。

これまでの長きにわたるデフレ時代では実感できなかった『労使見解』の内容が、インフレになって初めてリアルに感じました。また同時に、あれだけ古くさいと感じていたのに今でも新鮮で十分通用する内容であることにも驚きました。

私、自社の体験と実践

高校時代、先天性の病気で右の肺を3分の1取り除く手術を経験しました。つらくて痛いリハビリにも耐え、なんとか退院することができ、「これからは幸せな人生を送りたい」と思いました。これが私の人生のキーワードです。

当社は食品製造業です。お客様の要望に合わせて納期に製品を納めなければならないのですが、薄利多売のため、とにかくラインを回さなければなりません。社員には残業時間が多い上に休日出勤も頼んでおり、「この会社は本当に人を大切にしない」と言われることもありました。

ある時、事業構造改革をすることになりました。当時の主力製品であった清涼飲料では利益が出なくなり、撤退を決めたのです。同時期に残業規制が始まりました。ラインを閉鎖したので人が余っていましたが、リストラするわけにはいかず、「これはチャンスだ」と先んじて実践しました。結果、12時間2交代を、8時間3交代に変えたのです。残業時間を大幅に減らすことができました。

素晴らしいアイデアだと思っていたのですが、社員が1人また1人と辞め、1年半で20人もの社員が退職しました。良かれと思って行った改革でしたが、残業とともに給料も大幅に減り、「この会社に未来を託したくない」と思われてしまったのです。

同友会の仲間には「制度の前に風土を変えるべきだし、まずは相談から入るべき」だとアドバイスを頂きました。振り返ってみると、先代の父はなるべく社員の声を聞いて実践していました。決してもの分かりが良いわけではありませんでしたが、できる限りの要望を聞いて1つずつ達成していくので、社員がついていっていました。今思えば、社内で分断が起き労働組合ができる事態にならないよう、早期解決を図っていたのかもしれません。

私が「幸せな人生を送りたい」と願ったように、社員も幸せになりたいと考えています。自分のこれまでの経営は「人を生かす経営をしてきたつもり」だったのだと気づかされました。

長期保存可能、開けてすぐ使える同社主力商品

現代における問題点

『労使見解』が発表された当時は対立の時代です。しかし、同友会の先輩たちは対話によって労使が協力し、それを乗り越えようと努力してきました。

最近の嫌な言葉に「退職代行」があります。対立はしないけれども対話もしない、代行業者によってフェードアウトしてしまう関係です。

さらに「リベンジ退職」という言葉も耳にするようになりました。これは忙しい時期に引き継ぎをしないで突然退職したり、引き継ぎで嘘偽りを教えたり、SNSに悪口を書き込んだりと、会社に対して復讐(リベンジ)をして辞めていくことを表します。

現在、当社もリベンジ退職の被害を受けています。約1年半前、当社の正門の目の前の土地を、ある会社が購入しました。「○○会社 建設予定地」と書かれていたのに、約1年前のある日、その土地に8枚の看板がコの字型に並べられました。書かれている内容は「息子の人生返せ! 欺瞞!」「違法行為の強要」「反社と付き合いダメ!」「工場火災等の隠蔽当たり前」「社員を奴隷扱いするな」など。目を疑うような内容で、私は膝から崩れ落ちそうになりました。

よく見てみると、一番目立たない隅の看板に「○○会社元社員一同」とあり、当社ではなく近隣の産廃業者に対する元社員からの批判でした。しかし、事情を知らない人が見たら、当社へのリベンジだと思うでしょう。まるで自分たちが言われているようで、本当に不快な毎日です。しかし私有地のため警察も不動産屋も撤去することができず、私たちは反面教師にすることしかできません。(※この看板については5月初旬に被害届が受理され、警察によって撤去されています。)

豊川市に本拠を構える同社(写真は穂ノ原工場)

労使関係は永遠の課題
~経営者は逃げられない

先にお話ししたように、今はインフレ・賃上げの時代です。改めて『労使見解』を読むと、「経営者である以上、いかに環境がきびしくとも、時代の変化に対応して、経営を維持し発展させる責任があります」「長期、短期の展望のなかで、妥協できる節度のある賃金の引き上げをはかることがのぞましい」など、50年前に発表されたにもかかわらず、今を予言しているようなみずみずしい文章が書かれています。

そして、維持・発展のポイントは1つ、「正しい労使関係を築くこと」とも書かれています。実は、労働組合の有無は関係ありません。労使が信頼し合っていることこそが一番大切です。社員と同じ目標に向かって力を結集することができれば、必ず良い会社に成長できます。そして労使の信頼の礎となる人間尊重経営は、経営者が襟を正し自らを律することから始まります。

「みんなの労使見解」に向けて

最近話題となっているある退職代行サービスは、法律の隙間を突いて儲けている会社だと思っていました。今回の報告にあたり同社ホームページをよく見たところ、「退職を伝えるだけで、交渉には組合が出てくる」といった趣旨のことが書かれていました。退職代行というのは、形を変えた現代の労働組合なのかもしれません。

さらに別のページに移ると、「雇用主の方々へ」というメッセージが出てきます。そこには、「もし退職代行を利用して自社へ連絡が来たのであれば、『そのような環境を自社が作り出してしまったのでは?』と一度ご一考いただきたい」と書かれています。しかし、退職代行の電話が来てから労使関係を改善するのでは手遅れです。

私たちには先輩会員たちの血と汗と涙の結晶である『労使見解』があります。今こそ『労使見解』を読み返す時です。自社の労使関係を本音で語り合い、今日から「みんなの労使見解」にしていきましょう。