活動報告

『労使見解』50年 全県学習会(10月21日)

「人を生かす経営」の本質・あり方を今あらためて問う

広浜 泰久氏
(株)ヒロハマ取締役会長/中同協会長/千葉同友会相談役理事

広浜 泰久氏

労使見解をより深く学ぶ年度に

『労使見解』50年を契機とした全県学習会を、中同協会長でヒロハマ会長の広浜泰久氏を報告者に招いて開催し127名が参加しました。

冒頭、加藤昌之代表理事による趣旨説明では、今年度愛知同友会は『労使見解』発表50年の節目にあらためて労使見解をより深く学ぶ取り組みを全県的に行っており、その中で理事は各自が代表を務める会議にて、「我が社と労使関係」をテーマとした事例発表を行うよう取り組んできたことを紹介しました。

広浜氏からは「『人を生かす経営』の本質・あり方を今あらためて問う」と題して報告いただきました。

まず、50年前の1975年に『労使見解』が発表されるに至った歴史的背景と、労使見解に込められた当時の中小企業家たちの矜持が紹介されました。

学び、深化し、徹底して実践

続いて広浜氏は『労使見解』から学ぶべき4つの点―①経営者の責任(経営姿勢)、②経営指針の成文化と全社的実践、③人間尊重(社員をパートナー・共に育つ)、④外部経営環境の改善に労使が団結―とその深化について、自社でかつて発生した労使問題事例と、同友会入会後の学びを生かした自社での労使関係づくりと労使見解の具体的な自社実践に触れながら述べました。

最後に「人を生かす経営の本質を理解し徹底して実践することは、きわめて崇高な営みであり、それでこそより大きく社会に貢献していける。お互いにその先頭に立てる自分たちでありたい」とまとめ、報告を結びました。

自社の労使問題や悩みにどう向き合うか議論

互いに経営姿勢を見直して

グループ討論では参加者各社における労使の問題や悩みと、それにどう向き合うかについて忌憚のない意見交換が行われ、自身の経営姿勢と自社実践を見つめ直す機会となりました。

最後に高瀬喜照会長は「先行き不安な経営環境であるが、その中でも経営を通じていかに『人の幸せ』を追求していくか、それが私たち経営者のやるべき仕事であると再認識できた」とまとめました。

【特集 労使見解50年】

広浜氏 報告概要

「人を生かす経営」の本質・あり方を今あらためて問う

長年の実践を語る広浜氏

労使見解の実践で業界シェア1位に

弊社は一斗缶をはじめとする金属缶キャップの製造を主力事業としています。一斗缶の市場はバブル期をピークに縮小が続き、当時は年間約2億6000万個あった生産量が、現在では半減しました。厳しい環境下ですが、私たちは業界シェア1位を維持しつつ、売り上げも着実に伸ばし続けることができています。

この成果は決して私個人の力によるものではありません。労使見解に基づく経営指針を軸にした「全社一丸の経営」を愚直に積み重ねてきた結果です。社員一人一人の役割が明確で、やりがいを持って働ける環境が整ったことで主体性と創意工夫が自然に生まれるようになりました。

何より、労使見解を日々の経営に落とし込むことで社員の意識と行動が変わり、会社の体質そのものが大きく改善したことを実感しています。「社員が動けば会社が変わる」という言葉がありますが、それをまさに現場で体現してきたと感じています。

『労使見解』に込められた思い

『労使見解』が発表された1975年当時は全国で労使紛争が非常に激しく、社会全体が対立の空気に包まれていたそうです。今では当たり前のように使われる「労使」という言葉は、もともとは「労資」と書かれていました。資本家と労働者の対立構造が前提にある時代だったのです。

そうした中で同友会は、対立ではなく対話をめざし、労働者と使用者が共に未来をつくっていく関係へと考え方を転換し、「使」という文字を用い始めました。当時は労働者から「中小企業といえども資本家である」と心ない批判を受けることも多く、やむなく会社を畳む経営者も少なくなかったと言われています。

「労使見解の打ち合わせでは労働組合への愚痴も多かった。そういったものは飲み込んで、『経営者はこうあるべき』と書くんだよ」と、労使見解に関わった先輩が話されていたと、中同協元顧問の田山謙堂氏から聞きました。これは経営者の矜持だと思います。私も『労使見解』を読んでいて、「無理して書いているな」と思うこともありますが、あるべき姿を同友会運動の先駆者として示していただいていると感じています。

稚拙だった労使関係突然のストライキ

私は学校を卒業後、他社での3年間の修行を経て弊社に戻ってまず驚いたのは、社内の労使関係が非常に悪かったことです。労働組合の力が強く、やる気のある社員が始業前に準備をしていると、組合員から「会社の犬か」と言われるような状況でした。

一方で会社側も、団体交渉では数字を示さず「儲かっていない」「お金がない」と繰り返すばかりで、賃金をなるべく抑えたいという姿勢が透けて見える状態でした。振り返ると、双方の対話が十分にできておらず、本当に稚拙な労使関係だったと思います。

1980年の景気悪化により弊社の経営状態も悪化し赤字となり、経営改善のため、一部のパート社員を解雇せざるを得ない状況になったところ、組合の総意を得ないストライキ、いわゆる「山猫スト」が起こりました。その後に発起人を解雇することになったのですが、解雇無効を求めて組合員が会社に毎日押しかけ赤旗まで立てられました。これが「廣濱金属事件」と呼ばれる大きな失敗です。

この一連の出来事は、当時の私たち経営陣の未熟さが招いたもので、「労使の知識不足」、「コミュニケーションの欠如」、「感情的な行き違い」など、さまざまな要素が積み重なって生じたものでした。しかし、この苦い経験があったからこそ私たちは労使関係の重要性を痛感し、本気で反省し、労使が互いを尊重し協力し合える関係を築くためのさまざまな取り組みを真剣に進めるようになりました。

「労使見解」の本質を学び直す

就業規則と行動原則づくりから始まった改善

会社を改善するために、まず取り組んだのが就業規則の整備です。同時に、会社として大切にしたい姿勢を「行動原則」としてまとめ、全員が共通の判断基準を持てるようにしました。

また、パート社員が朝礼の時間に揃わないことから情報共有が十分にできないという問題がありました。そこで朝礼をやめ、全員が揃う昼礼へと切り替えることで、会社全体としての意思疎通や共有の質が大きく向上しました。

経営指針づくりで味わった「2つの大きな失敗」

経営指針については、私自身これまでに二度、大きな失敗を経験しています。

最初の失敗は経営指針を私1人で作ったことです。我ながら「よくできた」と思い、意気揚々と社員に発表しましたが、誰1人動いてくれませんでした。その理由を尋ねると、できない理由がいくつも出てきて、「人は自分で計画を立てないと、やる気にならない」と痛感しました。

その反省を踏まえ、翌年は基本方針までを私が作り、具体的な目標や計画は社員それぞれに考えてもらいました。しかし今度は、基本方針そのものが具体化されていなかったため、現場で行動する内容に落ちていかず、これも上手くはいきませんでした。

「自分で決める」から、人は動き始める

こうした2つの失敗を経て私たちは「正しい進め方」にたどり着きました。それが、「基本方針までは経営陣が作る」、「具体化と細分化は組織長が行う」という役割分担です。さらに場所や担当ごとに計画を細分化し、最終的には一人一人が「1年間で何をするのか」まで落とし込む仕組みにしました。

弊社ではこれを「52週課題」と呼んでおり、年間を52の週に区切って週ごとに課題を設定し、個人のPDCAを回すようにしています。ここまで細分化すると、社員も「自分の役割」が明確になり、仕事に責任と誇りが生まれ、確実に前へ進むようになります。また、週単位で課題が設定されているため、問題が起きてもすぐにフォローでき、改善のサイクルも早く回るようになりました。

ここまで来るのに、実に15年の歳月がかかっています。ですから経営指針に取り組む皆さんも、焦らず、じっくりと続けてほしいと思っています。

経営者の責任の視点「社会性・人間性・科学性」

経営者としての責任とは何か。私は長くその問いを考えてきましたが、「何に対して責任を負うのか? なぜ負うのか? 誰に対してなのか?」という疑問に向き合う中で、「社会性・人間性・科学性」の3つに対する責任だと捉えるようになりました。

まず大切なのが、「社会性」への責任です。企業が社会の中で存在価値のある姿をつくり、期待を寄せてくださるお客様や取引先にしっかり応えていくこと。これは企業として欠かせない役割だと感じています。

2つ目は、「人間性」への責任です。一緒に働く社員一人一人が、物心両面で自己実現できる会社にすること。生活面だけではなく、「働くことにやりがいを感じられるか」という点に、経営者が持つ影響力はとても大きいと実感しています。

そして3つ目が、「科学性」への責任です。社会性と人間性を本当に実現するためには、数字に裏付けられた経営、持続可能な利益構造、生産性の向上といった「経営の科学」が必要になります。

討論で学びを深め合う
討論で学びを深め合う

同友会理念の実践

同友会理念を実践で語るのが難しいと言われますが、自社で取り組んでいることを丁寧に整理してみると、同友会理念につながっていることが多いと気づかされます。そのキーワードを私なりに整理したので紹介します。

自主の部分で、私はよく「独立自尊」という言葉を使います。その反対にあるのが「自己卑下」や「他者依存」です。「どうせ自分なんて」と自己卑下してしまうと行動にブレーキがかかり、努力しない理由づけになってしまいます。また、他人任せにしていても、環境が良くなることはありません。仕事でも同友会活動でも、よい環境は自分たちでつくり出していくものだと感じています。

民主の部分では、「相互尊重」をキーワードにしています。たとえば、課長の指示で部下が動いているところに、社長が「そんなことはやらなくていい」と言えば、課長の立場は一気に崩れてしまいます。成果を出すことは大事ですが、そのプロセスで互いを尊重することが、組織にとってはより重要だと思います。

義務感から使命感へ

同友会で多くの学びを得てきましたが、その中でも経営指針に取り組み、経営理念を作りかえたことは大きな転換点になりました。もともと先代が作った理念はありましたが、自分の行動と一致しておらず、どこか別物のように感じていたのです。

経営指針成文化セミナーに参加し、「自分は何のために経営しているのか」と悩んでいたときに出合ったのが、サイゼリヤの創業者である正垣泰彦氏の言葉でした。「自分が何かをしてあげて、相手が喜んでくれたら嬉しいでしょう?だから、人が喜んでくれることを自分のビジネスにすればいいんだよ」という言葉が胸に深く響きました。

それから、あらためて「何が自分を嬉しくさせるのか」を考えてみると、「自社と関わって喜んでくださるお客様の姿」と「目を輝かせながら働く社員の姿」、この2つが、確かに自分の喜びそのものだと気づきました。そこで、これらを経営理念として明確に示すことにしたのです。

『労使見解』で示されている内容は、今も正しいと強く感じています。経営者は世のため人のために頑張っている存在です。そこに誇りを持ち、社会に貢献する企業の先頭に立つことが、私たちの使命だと思っています。これからも全国の同友会の仲間と共に、よい会社、よい社会をつくっていきましょう。