「他人ごと」から「自分ごと」へのシフトチェンジ
~障害者と関わる それぞれの物語

2023年度に愛知で開催した障害者問題全国交流会の学びを継承し、「人間尊重を深める」学習会をシリーズで開催しています。今回は、(株)高瀬金型の高瀬喜照氏から「格差が広がる厳しい時代だからこそ、人を大切にする学びが重要」とのあいさつを受け、岩田周作氏、小川康成氏、杉田雅史氏が報告しました。その概要を紹介します。
岩田 周作氏
(株)スターフィッシュクリエーション

「知る」から始まった
当社は築年数の古いアパート管理を中心とした不動産総合事業で、地域に賑わいを創出することが夢です。30歳でNPO法人を起ち上げ、東日本大震災の支援活動に取り組む中、まちづくりに関心を持ち、8年後に脱サラし起業しました。
私は小さい頃から目立ちたがり屋で、小学校時代は連載漫画を発行、高校時代は演劇部で主演、大学時代はヘヴィメタルバンドでライブに明け暮れるなど、とにかく人の集まることが大好きでした。
2021年に同友会に入会し、翌年から副室長、室長、副会長と担ってきました。稲沢地区は愛知同友会の「1社1人関わる運動」を活動に位置付けており、例会で障害者に関するテーマを取り上げています。私は、2024年度に障害者雇用の例会担当メンバーとなりましたが、当時は知ることで精一杯でした。
自分の意志で踏み出す
例会の翌月、障害者自立応援委員会主催のバリアフリー交流会があり、「楽しい場にしてほしい」と司会を頼まれました。当日、会場には障害者雇用企業、障害者とその保護者や支援機関、学校の先生などさまざまな方が集まり、私は皆さんの話をどんどん引き出しました。当時の同友Aichiの記事で私は「人生で初めて障害のある人と対話し、同じ人間、何も変わらないと知った。今日は私の大きな一歩」と感想を述べており、大きな転機になりました。2025年度の障害者雇用の例会では、担当メンバーとしてしっかりと関わることができました。
同友会では役を受ければ学びが深まるといいますが、大切なのは「自分の意志」で引き受けること。その確実な「はじめの一歩」がシフトチェンジにつながります。
小川 康成氏
(有)小川保険事務所

対等な人として
父の代から瀬戸市で49年間、保険代理業をやっています。私は学校卒業後、大手損害保険会社に入社し約10年営業を務め、父の保険代理店を継ぎました。10数人の一人親方をとりまとめるため、独学で経営理念を勉強していた頃、同友会に入会しました。
10年ほど前、地区例会で現障害者自立応援委員長の浅井順一さん((株)浅井製作所)の報告を聞き、2つのことが心に残りました。
1つは、同社での初の障害者雇用の体験です。A君を雇用しますが、現場でお客様扱いをされA君の笑顔が消え、退職した話を聞いて、涙しました。居場所がないつらさを私自身も経験していたからです。この時、同じ人として障害者と対等に付き合うということにとても共感しました。
1つずつ事実と向き合う
もう1つは、会員企業で働く障害者の仕事一覧表でした。自社での雇用を考えるきっかけとなり、その後、実習にトライしました。実習生は20歳代の男性で発達障害があり、臨機応変な対応やさじ加減が必要な作業は難しいことがわかりました。
実習終了時、雇用できないと伝えると、「こんな僕にチャンスをくれてありがとうございました」と感謝されました。彼は20社以上に門前払いをされ、当社に来たそうです。実習にもたどり着けないハードルの高さを知り、頭をガツンと殴られた気持ちになりました。
関わる中で、親亡き後の障害を持つ我が子を心配する親心も知りました。子どもの自立、居場所、安心して任せられる社会が必要です。誰もが持ち味を生かし働ける職場をつくるためにも、懐の大きな会社に成長していきたいと、思いを新たにしています。
杉田 雅史氏
カーサービス南部電装(有)

他責から自責へ
当社は1964(昭和39)年に祖父が車の電装品修理の会社を起こしたのが始まりで、父が自動車販売を手掛け、3代目の私は隣接異業種を拡大中です。
私は学生時代に、ある事件がきっかけで犯罪被害者の支援に参画しました。卒業後、自動車ディーラーに就職しましたが、犯罪抑止に寄与したいと3年で退職、教師の道へ進むべく通信大学に入学しました。しかし事情が一転し、紆余曲折の末、当社を継ぐことになりました。
会社の内情は厳しく、必死で働きましたが4年目には限界を感じ、そんな私を取引先の方が同友会に誘ってくれました。初参加の会合テーマは「家業から企業へ」――まさしく直面する課題であり、即決で入会しました。当時の私は、すべてを周囲のせいにし、上から目線で接しており、同友会で出合った「他責から自責へ」「すべての人間は対等な関係でありパートナー」の考え方は、大きな転機となりました。
どういう経営者でありたいか
高校時代は地域の高齢者や障害者との交流があり、教員資格取得のための教育実習の場は岡崎盲学校でした。社員には下肢不自由のF君と、てんかんのA君がいます。こうした出会いから思うのは、それぞれ特性があり、「障害者」と一括りにできないということです。
A君は不遇な半生を過ごし、成功体験が乏しいゆえに自信が持てません。しかし、一見理解しがたい言動にも理由があり、自尊心と意欲を支えれば人は必ず成長すると確信しました。
また、委員会でいう「見えない生産性」の本質は、どんな社会にしたいか、社員にどう成長してほしいか、つまるところどういう経営者でありたいかだと考えます。
こうした気づきを得て、社内では「社員1人1人の強みを生かす」「既成概念にとらわれない仕事の細分化」「1人1人に合わせたチェックシート」に取り組んでいます。










