調査・研究・提言

選挙に行こう(5)
主権者としての品性

齋藤泰(株)スバル

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「誰がやっても同じ」「どうせ何も変らない」。選挙のたびにテレビ・ラジオを通して聞かされる棄権談話の定番である。ずいぶん気軽な放言だと思う。他人事のようにそう言い捨てる人々の存在こそが政治が変らぬ原因だということに、彼らは多分気づいていない。それにしても、今回の愛知県議会選挙の43.97%という低投票率には、ただタメ息が出るばかりである。天気の良い日曜日に、政治選択の権利を無雑作に捨てて、どこかにドライブにでも行ったのか。終日ゴロ寝を決め込んだのか、どちらにしても、無責任な話ではないか。過日、隣の韓国大統領選挙は、平日木曜日の投票でも70%を超えた。我国で国民が真に政治の選択権を得てから歴史はそう長くない。女性が参政権を得たのは戦後のことだ。ここに至るには先達の様々な苦難の歴史があったことを思えば、1票の意味はあくまで重い。棄権も意思表示だなどというのは出来の悪いジョークにもならない。ベストの候補者がいないなら、次善でも次々善でも選択すればよい。それも無理なら面倒でも投票所へ出掛けて、白票を投ずるべきである。仮に今回の選挙の投票率が100%で、白票が56.03%であったとする。どの党でも誰でもなく、「政治不信」こそが有権者の最大意思ということになり、間違いなく政治は良き混乱を経て、変化への道を進むだろう。少なくともそう考え行動するのが、主権者たる我々の責務であり、品性というものではないだろうか。