活動報告

第3回「労使見解」を深める学習会(9月1日)
詳細1「最低賃金の引き上げと中小企業の対応」

人を生かす経営推進部門

憲章精神に基づく経営環境づくり
~賃金問題は労使の共通課題となった!

渡辺 俊三氏  名城大学名誉教授
城所 真男氏  重機商工(株)

今年度の人を生かす経営推進部門では、「労使見解」を学ぶ場が欲しいという声に応えて、じっくりと深める学習会を6回講座で開催しています。

2021年(同友Aichi11月号)に概要を掲載しました「第3回『労使見解』を深める学習会」について、今月号から2回にわたり詳細を掲載いたします。今回は、名城大学名誉教授の渡辺俊三氏による問題提起です。

最低賃金の引き上げと中小企業の対応
~中小企業憲章の精神に基づく企業環境づくり

渡辺 俊三氏

生産性向上と最低賃金の引き上げ

「生産性向上」は、2017年3月の「働き方改革実行計画」と同年6月の「未来投資戦略2017」において、本格的に取り上げられるようになりました。主な要点は、

  1. 賃上げを行い、労働分配率を上昇させる
  2. 最低賃金を年率3%程度引き上げ、全国平均1000円をめざす
  3. 賃上げのため、生産性の向上と収益構造の改善を必要とする

この3点です。

そして、これに符合するようにデービット・アトキンソンの書籍が出始め、当時の安倍内閣の成長戦略と影響し合いながら、生産性向上と最低賃金の引き上げについてさまざまな議論が起こりました。その代表的なものがアトキンソンの見解です。

最低賃金制度の意義

アトキンソンの見解は、「最低賃金を毎年引き上げれば、中小企業の生産性は向上する。生産性向上ができない企業は淘汰され、強い企業が生き残る。それが経済の活性化につながる」というものです。これは、最近の先進資本主義国の考え方を踏襲しており、最低賃金制度をマクロ経済政策の手段に使う理論といえます。

ここで押さえておくべき点は、「最低賃金制度は、中小企業の淘汰のための手段ではない」ということです。最低賃金制度は、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことを保障する手段であり、最低賃金の向上は労働者の生活水準向上に直接的に資するものです。ここを間違えてはなりません。

中小企業の役員所得は多いのか

また、アトキンソンは「中小企業では付加価値に占める役員給与・賞与の割合が非常に大きく、それを削り従業員の給与に回せばよい」といいます。それがいかに暴論であるかを、法人企業統計調査の「役員・従業員の所得比較(2019年度)」の数字からみていきます。(表1参照)

[表1]役員・従業員の所得比較(2019年度)

単位:万円、人
資本金 役員
給与・賞与
従業員
給与・賞与
役員一人当たり
従業員数
1億円以上の企業 1,428 519 96.1
1億円未満の企業 462 295 5.2

出典:法人企業統計調査(渡辺氏報告資料より一部加工して転載)

「役員給与・賞与」は、資本金1億円以上の企業で1428万円、1億円未満の企業で462万円です。賃金格差と同様に、かなり大きな差があります。1億円未満の企業の「役員給与・賞与」は、1億円以上の企業の「従業員給与・賞与」519万円よりも低く、これをどう従業員の給与に回すと効果があるのかということです。

また、中小企業の「役員給与・賞与」の割合が高いのは、従業員の数が少ないために計算上そうなるだけで、必要以上に収入を得ているということではありません。

最低賃金引き上げへの対応

最低賃金の向上は、人間尊重経営を具体的に考える上で避けては通れない課題であると考えます。そこで、福祉国家構想研究会編著『最低賃金1500円がつくる仕事と暮らし-「雇用崩壊」を乗り超える』を参考に、時間額1500円を例に対応策を考えてみます。この金額は大卒初任給の賃金にほぼ相当し、年収に換算すると360万円程になります。

中小企業における賃金問題の入り口は、適正な利潤を確保するための価格決定力であり、出口は社員との合意形成です。まず賃金上昇を前提に、積算方式で各社の決算を整理し、自社の付加価値の状況をつかむことが必要です。最低賃金1500円が導入されたと仮定した、対応策のステップは次の通りです。

  1. 時間額を社員の給与に換算し、それを支払うための必要売上高・付加価値額を算出する。
  2. (1)の実現に向けた経営計画を策定する。
  3. (2)の計画を遂行する上で取るべき方針・戦略を検証する。
  4. (3)の方針・戦略を遂行していくための企業づくりの具体的方向性を検討する。
  5. (4)の企業づくりを進めるにあたっての外部阻害要因を抽出する。
  6. 抽出された外部阻害要因克服に向けた政策を検討する。

1~4が労使見解を前提とした経営の組み立て、5・6が政策課題の抽出となります。 賃金上昇に対する企業の対応のフローチャートを描いてみました。(図1参照)

[図1]賃金上昇に対する企業の対応
出典:渡辺氏作成(報告資料より一部加工して記載)

対応策としては、

  1. 生産性向上で吸収
  2. 製品価格への転嫁
  3. 高付加価値製品への移行

があります。これらを組み合わせながら対応していけるのではないかと考えます。

公正な競争社会の実現

生産性向上を議論する場合、まずもって中小企業の付加価値の実現を妨げる大企業体制が俎上に載せられなければなりません。また公正な市場環境を整備するためには、閣議決定された中小企業憲章の行動指針にある、

  1. 「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」(1947年)
  2. 「下請代金支払遅延等防止法」(1956年)
  3. 「官公需についての中小企業者の受注機会の確保に関する法律」(1966年)

これらの順守が前提となります。

2019年の「成長戦略実行計画」以来、大企業と中小企業との取引関係の適正化がいわれ、2020年6月の「成長戦略実行計画」でも、

  1. 下請取引の適正化
  2. 大企業と中小企業の連携促進
  3. 約束手形の利用の廃止
  4. 系列を超えた取引拡大

が挙げられています。

ただし、実行計画における取引の適正化は、下請生産が前提となっています。取引関係の是正をめざす「パートナーシップ構築宣言」でも、中小企業側に価格決定力を持たせるには至っていません。

中小企業が非正規雇用や低賃金労働力への依存を強いられる理由も、ここにあります。この根源にメスを入れない限り、問題解決にはなりません。

賃金格差の解消のために

2000年代に入り、非正規雇用者の拡大、正規・非正規労働者の賃金据え置きにより、日本の最低賃金の水準は先進資本主義国のなかでも低いレベルに落ち込みました。それに加えて大企業と中小企業の賃金格差の存在も無視できません。

賃金格差の存在は、第1次世界大戦前後の日本において、独占資本主義体制が形成された頃から顕著になったといわれています。その理由は、大企業が高い賃金やボーナス、退職金などを支給し、労働者の定着をはかったからです。つまり賃金格差は資本主義の発生期から存在していたわけではなく、格差の縮小は不可能ではありません。賃金格差をなくすには、第1に価格競争に陥らないような自社製品やサービスを保有すること、第2に価値の実現性を高めることです。

「賃金引き上げのための生産性向上」とは、個々の企業のみに賃金引き上げの責任を押しつけることに他なりません。賃金引き上げのためには社会制度の設計が必要で、それを保証するものが公正な競争社会の実現といえます。企業努力だけではなく、公正な社会を実現するための政策が必要であることを声を大にして強調したいと思います。

企業経営の目的

それは第1に、企業経営の判断基準は経営者自身が決定するものであり、生産性向上をしなければいけないと同調圧力をかけることに意味はありません。生産性向上よりも市場開拓、新製品の開発、人材育成など他の経営課題があれば、それらを優先すればよいといえます。

第2に、中小企業には生産性だけではかることのできない独自の経済的、社会的役割があります。1971年に英国で発表された『ボルトン委員会報告』では、8つの中小企業の経済的役割が挙げられています。これ以来、日本においても中小企業の経済的役割を重視する考え方が広まり、2010年に閣議決定された『中小企業憲章』には、中小企業の役割や意義が述べられています。中小企業の持つ生産性以外の役割に着目すべきです。

第3に、重要な指標とは何か、です。中同協『中小企業憲章草案』前文では、「国民1人1人を大切にする豊かな国づくりのために……中小企業憲章を制定する」と述べています。「国民1人1人を大切にする豊かな国」とは、決して1人あたりのGDPが高い国ではありません。2020年の国連の発表では、日本の幸福度は153カ国のうち62位でした。生産性の低さより、幸福度の低さのほうがより深刻といえます。

むすび

中小企業の最低賃金引き上げは、社会の急速な変化により時間の問題となっており、避けることはできません。そして個々の企業努力と併せ、大企業中心の社会体制を変革し、中小企業の付加価値が正当に評価される社会体制にならなければ、賃金引き上げに的確に対応することは不可能です。

最低賃金の引き上げを考えるためには、「労使見解」と「中小企業憲章草案」を基礎におく必要がある、それを結論として申し上げます。

【文責:事務局 岩附】