活動報告

人を生かす経営推進部門 第6回「労使見解」を深める学習会(3月2日)前編

「労使見解」の正しい理解と実践を
~同友会運動の歴史と理念(前編)

加藤 明彦氏  エイベックス(株)

「労使見解」、「経営指針成文化と実践の手引き」を紹介する加藤氏(左)

人を生かす経営推進部門が主催してきた「労使見解」を深める学習会は3月2日に最終回が開催され、4月号でその概要を紹介しました。参加者73名のうち7割が会歴10~19年の層で、同友会を本質から学びたいというニーズに応えることができました。

同友会会員が経営のバイブルにしている「労使見解」が生まれた背景には、歴史からの深い学びがあります。「労使見解」は常に私たちに経営者としてのあるべき姿を問いかけ、労使関係の創造的発展こそ企業発展の原動力であることを示し続けています。今月号から2回にわたり、加藤明彦氏の報告の詳細を掲載します。

同友会運動とは何であるか

まず、会員として同友会運動とは何だと思いますか。同友会運動は、「3つの目的」を掲げ「自主・民主・連帯」の精神に立ち、「国民や地域と共に歩む」姿勢を貫き、その総合的実践によって時代とともに発展を遂げてきました。

特に私たちは、10数年前にリーマンショックを経験し、現在はコロナ禍で経営が痛めつけられ、さらにウクライナとロシアの問題で様々な物の値段が上がり、困難な状況が続いています。先輩方が築いてきた本質的な運動の足跡から学んで、その学びを今の時代に解釈しながら、この経営危機をどう乗り越えていくのか。そして、その経験値の中から次世代の若き経営者に何を残していけるのかが重要です。

皆さんは、「人間尊重の経営」をきちんと意識して経営をしていますか。私は、「労使見解」だけを学んだとしても、そこに自主・民主・連帯の精神が入っていないと、ものにならないと感じています。

実践してみたらうまくいかない、やり方を変えてみる、その繰り返しをしてさらに毎年開催される全国行事や交流会、委員会活動や例会などでの学び直しを積み重ねてきて、30年かけてやっとこのことが理解できてきました。

戦後の新しい国づくり

1946年、戦後復興をする中で、政府は大企業を優先的に再建する「傾斜生産方式」による経済復興政策へと転換していきました。中小企業はこの政策により結果として支援から排除され、資材・資金・電力の極端な不足に陥りました。これが、戦後初期の中小企業問題です。

戦後生まれの私も小学生の頃に、電力不足が原因で急に電気が切れたりしていたのを思い出しました。東日本大震災の時、大規模な停電を回避するため関東エリアで計画停電が行われましたが、あれと同じです。あの状態が戦後起きていたと思ってもらえれば分かりやすいと思います。

さらに、中小企業経営者は特別税制によって苦しめられました。中小企業の切実な要望を受け、各地で各様な中小企業の団体が結成され、当時の中小企業家が立ち上がりました。

中小企業の「存立と発展」「社会的地位の向上」を求める運動

1947年、中小企業家同友会の前身である「全日本中小工業協議会(略称・全中協)」が誕生。大企業に偏った経済政策を是正し、中小企業の「存立と発展」「社会的地位の向上」を求める運動を展開していきました。

具体的には、(1)特定の政党に偏らない、(2)多数の自由な意見を交換する、(3)特定の政党や団体に経済的に依存しない、(4)民主的運営に努める、という部分が現在の同友会へと受け継がれています。

特に、政治と経営を切り分けることで、中小企業家の自立、地域における中小企業の存在価値の認知運動を提起してきました。この考え方は、政党に偏ってはいけないが、政治にはしっかりと関心を持とうと、現在では中小企業憲章に矛盾がある政策には声を出していくとしています。戦後70年以上経っていますが、この考え方の運動が現在にも続いていることが大事なことです。

この考え方が、後の中小企業家同友会全国協議会(略称・中同協)の「労使見解」(中小企業における労使関係の見解・1975年発表)に発展していきました。

矛盾がある政策には声をあげていく

日本経済の自主的で平和的な発展をめざす

1956年、日本中小企業政治連盟(略称・中政連)が制定を推し進めた「中小企業団体組織法」をめぐっては、意見が大きく分かれることとなります。

背景としては、狭い市場の中で互いに足を引っ張り合うという状態があり、これを克服する目的で、過当競争を制限しようという大運動でした。

しかし同友会運動の創設者たちは、上からの命令や法律で中小企業の自主性を抑えることは、戦前の官僚統制への道を歩むという危険が十分にあることを強調しました。自分たちだけが儲ければいいという話ではなく、消費者に喜んでもらって私たちも儲けるという「Win-Winの関係」でないと、いずれ世の中に限界がくるだろうということです。

1957年、中政連の運動には賛同しないと行動した70名の企業家が中心となり日本中小企業家同友会を設立。これが現在の東京同友会の前身になります。中小企業の自主的な努力と団結の力で、中小企業の自覚を高め、中小企業を守り、日本経済の自主的で平和的な発展をめざすことを決意しました。

「労使見解」が生まれた背景

当時は、中小企業が苦しんでいる団体法や中小企業基本法をもっと改善できないか、大企業との二重構造の緩和ができないか、ということを話し合っていました。

一番大きかったのが、日本労働組合総評議会(略称・総評)による「総資本対総労働」という労働運動です。例えば当時の国鉄が労働者のストライキを受けて、電車の運行が止まっていました。こうしたことによって、資本家と労働者の戦いとして経営者が「悪」という構図が出来上がり、もっと労働者の権利を守る風潮になっていきました。

しかし、これはどうもおかしいのではないかという考え方をした人たちがいました。そこで様々な視点からの議論が深められてきました。そんな考えの中から、使用者と労働者の関係から労使関係の見解が展開されたのです。

「経営者の責任」を問う理由

1969年は、当時の加藤精機、今のエイベックスが創立20周年を迎え、私が入社した年になります。中同協が設立した年に私は社会人となりました。

中同協ができたタイミングで、会の名称に「中小企業家」という「家」を入れたゆえんを確認しました。各同友会の会員は個別企業の経営者、またはそれに準ずる者と定義づけをしたからです。業界団体や協同組合は認めないというのはここからきています。会社として入会するのではなく、経営者が個人としての自覚(覚悟)をもってその責任を果たし、矛盾を社会的に問う立場であることへのこだわりを表したものでした。

中同協は1973年、「3つの目的」を採択。経営を担う経営者自らの能力の向上なくして、中小企業の発展を望むことはできないと断言しました。これを見ると、「労使見解」で「経営者の責任」を説いている理由が分かります。会社を維持すればよいという単純な問題ではなく、働く社員の人生を預かっているという気持ちですべての責任を取ることが求められているのです。

次いで1975年、「労使見解」を発表。さらに1977年には、「経営指針」成文化運動を提起。「労使見解」を具現化するために、経営指針を通じて会社づくりをしていくことが示されました。

1990年、同友会理念に「自主・民主・連帯の精神」と「国民や地域と共に歩む中小企業」を採択。なんと「3つの目的」採択から17年後の出来事となります。

そして1993年、21世紀型中小企業づくりの提唱。1999年には企業のめざすべき課題として、「市場創造・人材育成」を明確に謳いました。

【文責:事務局 下脇】