中小企業憲章・地域振興基本条例運動のこれまでの流れとこれから(前編)
大林 弘道氏 神奈川大学名誉教授

中小企業憲章の閣議決定から14年、愛知県中小企業振興基本条例の施行から12年を迎えました。他方で、憲章、条例ができて以後の入会者も増える中、同友会が全国的運動課題として取り組んできた憲章と条例について、今一度振り返り、捉え直す学習会を、講師に大林弘道氏(神奈川大学名誉教授)を招き開催しました。今月から3回に分けて当日の講演要旨をご紹介します。
第1回は前編として、憲章・条例運動を契機から振り返り、その成果と位置づけを確認します。
憲章・条例運動開始の3つの契機
憲章・条例運動の開始の契機として、私が強調したい契機は3つあります。(1)直接的な契機としての、2000年代初頭の愛知同友会発「金融アセスメント法制定運動」の全国的盛り上がりとその限界、(2)間接的な契機としての、1999年中小企業基本法の「抜本改正」、(3)背景的な契機としての、2000年「ヨーロッパ小企業憲章(EU小企業憲章)」の制定です。

「金融アセス」運動の全国的広がりと限界
(1)の「金融アセスメント法制定運動」はその基礎に、バブル崩壊を発端として「金融ビッグバン」と呼ばれた大々的な金融制度改革が行われたという歴史的経緯があり、その最終時点において金融機関の「貸し渋り・貸し剥がし」が発生したことに始まります。同運動は、中小企業運動史上最も国民的広がりを見せた画期的な運動でした。とはいえ、「貸し渋り・貸し剥がし」のような事態は中小企業問題総体のひとつであって、中小企業金融の範囲だけで解決することは困難であり、真に解決するためには視野を広げる必要があることが、次第に明らかになりました。その結果、「金融アセスメント法」制定運動から中小企業憲章制定運動への展開ということになります。

中小企業の存在理由を「憲章」から見出す
(2)の中小企業基本法の「抜本改正」は、中小企業政策の転換が、当時の中小企業が置かれていた「激変消滅」の中で、多くの中小企業に対して戸惑いをもたらし、その結果、むしろ中小企業に自身の存在理由や新たな基本方向の創出の必要を自覚させたということです。
(3)のEU小企業憲章制定の出現は、EUにおける小企業の存在そのものと憲章という法形式が新鮮な印象をもって受け止められ、憲章・条例運動に先駆的な事例として大きな影響を与えました。

学習運動を起点に
とはいえ、当時、中小企業憲章という考えはほとんど認識されていませんでした。そのため、前述の契機があったにもかかわらず、憲章・条例運動が容易に開始されたわけではありませんでした。
それゆえ、まずは学習運動として開始され、さらに中小企業憲章(国全体)と中小企業振興条例(各地域)とが結合されることによって、日本経済と地域経済とを同時に見つめ直す「地に足のついた粘り強い運動」として展開することが可能となったのです。

(同友Aichi 2005年11月号より一部切り取り)
憲章・条例運動の目標
このような経緯を経て開始された憲章・条例運動は、先ほどの3つの契機を背景としており、その目標は自ずから明らかです。
すなわち、(1)の劇的な金融問題に直面し、その中小企業問題全般への広がりを見通し、(2)の中小企業政策の転換に戸惑いを感じ、(3)の「EU小企業憲章」という希望が生まれた中で、「中小企業の持続とその発展」こそが「目標」でした。それはその後、運動が展開される中で、「中小企業の発展を通した日本経済の発展」を見つけ出し、「中小企業の立場に立った日本経済ビジョン」に結実したと言うことができます。その過程で、「国づくり・地域づくり」の一言で表現されるようになりました。
憲章は自ら創り出した展望
これらを客観的な状況を踏まえて簡潔に説明するとすれば、それは次のようになるかと思います。
1955年頃から開始された日本経済の高度成長は、1970年代の二度にわたる「石油危機」を経て成長率を低下させながら、成長そのものは1980年代末の「バブル経済」の絶頂期まで持続しましたが、その崩壊を契機に金融危機が発生し、その後、長期停滞に陥りました。
大企業は「グローバル化」に活路を見出しましたが、それによっては日本経済の確かな長期展望は生まれませんでした。
このような展望の喪失を背景に、日本経済の圧倒的多数の担い手である中小企業に携わる人々が自らの経済的・社会的地位の向上を自らで実現するということを自覚するようになり、同時にそれを可能にする経済社会の実現を目指したのだと考えます。
端的に言えば、「中小企業に携わる人々の経済的・社会的地位向上を可能にする社会の実現」を通じた「国民全体の経済的前進」であるという確信に基づく運動であると言えます。
(中編へ続く)