当面する情勢の概括と展望
前編 ・ 中編 までは、今次の「円安」を捉えるために、円相場の変遷とその時々の経済状況、現在の円安状況をつくり出したと考えられる諸要因を検討しながら、現在の世界・日本・愛知の経済状況を概括しました。
今号では、ここまでの検討をもとに、今後の展望についてポイントを絞って整理します。
「失われた30年」の総決算
1990年代のバブル崩壊や金融危機などを背景に、日本企業は雇用コストの削減に注力しました。また、2004年に生産現場(製造業務)への人材派遣を解禁する改正労働者派遣法が施行されたこと、就職氷河期世代(ロストジェネレーション)が労働市場にあふれていたことを背景に、パート、契約社員、派遣労働者など、正社員に比べ賃金の低い非正規従業員が多数生み出され、その比率は2010年代に40%近くまで高まり現在に至ります。

以上が労働需給が逼迫し、極めて低い失業率、極めて高い有効求人倍率でも「伸びない日本の賃金状況の不思議」が生み出された背景です。そして、このようななかにもかかわらず消費税や社会保険料など、財政を支えるための家計負担は増加してきました。
その結果、海外での事業活動を主力とする一部のグローバル企業は隆盛を極め株価も上昇しましたが、国内需要、とくに個人消費は低迷を続けたといえます。その過程で、産業の空洞化、円安政策による輸入コスト上昇と内需型中小企業の利益状況の悪化により、国内供給力は内外両面から突き崩されてきたのです。
これらの結果が貿易収支の赤字基調と、第1次所得収支黒字の拡大、とくに海外での利益留保と現地での再投資の増大(国内への利益還流の低迷)、国内投資の伸び悩み(国内供給力の減衰)、賃金の停滞、円安、交易条件の悪化(輸出価格の低迷で品質に見合った代金を海外から受け取れない一方、輸入価格が上昇傾向をたどってきた結果、国内の富が流出)、輸入物価上昇、実質賃金の下落です。

人件費削減競争の終わり
2023年、24年の春季労使交渉(春闘)は大きな転換点でした。人件費圧縮を競う流れは経済社会の構造変化で反転したのです。
さらに物価高が直接的な賃上げ圧力となっています。また人手不足はサービス価格を押し上げ、地球温暖化は品目によって食料品価格の高騰を招くリスクです。保護貿易主義が広がれば、世界のモノの流れは滞り、国内物価上昇は不可避です。企業は持続的に賃金を引き上げていけるだけの収益力を備えることが急務です。
中小企業の充実こそ、最大の通貨防衛
「失われた30年」は個人消費の低迷、すなわち賃金(とりわけ実質可処分所得)の長期的低落が根幹です。しかしながら、この間グローバル企業を中心に好業績に沸いた日本企業もありました。なぜ賃金が低迷を続けたのでしょうか。
それは人件費を抑制しながら大幅益を実現し、株主還元を強化したからです。賃金を上げる原資がなかったわけではなく、賃金の伸びを抑制したのは企業の経営判断だったのです。その結果が、労働分配率の長期的低下です。特に企業規模(資本金額)が大きい企業ほど、その低下は著しく、逆に中小企業規模ほど労働分配率が高く、且つこの間の労働分配率低下の度も小さなものでした。ここからいえるのは、中小企業では賃上げの原資自体が拡大していないということです。
「賃金が上がらない」という現象は、グローバル企業などでは「分配」の経営判断上の問題を指摘する必要がありますが、中小零細企業の場合、それは「成長・発展」を阻害する要因の排除が前提に置かれなければなりません。「中小企業の低生産性が賃金の足を引っ張っている」とし、中小零細企業の整理・淘汰があからさまに主張されていますが、そもそも問いの立て方が誤っています。
先に述べた国内経済の低迷構造からの転換には、(1)国内供給力の回復、(2)公正な取引環境の実現による中小企業の適正利潤の確保、(3)内需拡大(賃金上昇、個人消費・国内/地域での再投資の拡大)です。構造転換の道筋は、「多様な産業を基礎とする日本経済を築く」ことに尽きます。

時代の変革者として、中小企業は何をすべきか
「金利のある社会」が回帰しました。今後一段の金利上昇があれば、収益圧迫、投資抑制につながる企業も増える可能性があります。
金融緩和策が長く続き、中小企業の貸出金利は1%を切る水準、つまり利益を1%上げれば事業経営できる構造でした。しかし今後、そのマインドでは通用しません。さらに人手不足を背景に、賃上げも不可避ななかでは、薄利多売モデルでは早晩立ち行かなくなります。
このような情勢下で中小企業経営に求められるものは、どのような視点でしょうか。
それは、(1)1円でも高く売るために、「価値が認められる市場」に噛み込み、相手任せでなく、「自力で売り切る」こと(買い手に価格の最終決定権を委ねない)、(2)付加価値向上をともなう価格戦略を持つこと(公正な価格設定)、(3)「脱・バラまき見積もり」で「脱・価格競争」を目指すこと、(4)「変動費」を自律的に制御すること、(5)相対的に「小さな」市場に噛み込むこと、(6)地域に目を向けることなどです。
どのようなかたちであれ収益拡大を目指さなければ将来を描くことはできません。「攻め」の姿勢が必要です。広く情報を集め、適切なリスクテイクのもとで「勝てる」市場を創りましょう。
組織経営の確立と新次元のマネジメントを
価格戦略は市場創造戦略です。そのために決定的に求められるものが経営指針を軸にした組織経営の確立です。また、そこでは「人への投資」が重要となります。特にOFF―JTを見直す必要があります。
人手不足が著しく好転することが考えられないなか、DXや省力化投資は当然に求められますが、他方で「人への投資」は日本全体が取り組みの道半ばです。その分の伸びしろも大きく、企業の優位性につながりやすいと考えられます。
「ゆるブラック」「自由すぎる職場」が話題となっています。ここに共通するメッセージを読み取るとすれば、それは「人間の成長、その過程で生み出される成果に企業、経営者、管理職はもっと向き合え」ということと考えられます。この間の労働をめぐる法改正により、職場の性質は大きく変化していますが、現実には企業も働き手もその変化に十分対応できていないことが、こうした職場をめぐる問題に注目が集まる背景にはあります。
「働きやすさ」と「働きがい」は相反する関係なのかといえば必ずしもそうとは限らず、現実には両立しているケースも見られます。前提となるのは、働き手1人1人のキャリアに対する意識転換です。
では、会社は何をすべきなのでしょうか。「会社に未来像(ビジョン)があっても、働く人のビジョンを支援できているか」「会社の理念やビジョンとともに働き手はどのような未来を手に入れられるか」1人1人のありたい姿と向き合い、対話を通じて各人の成長課題に取り組むことが重要です。これらの前提となるのが、経営者をはじめとする「リーダーの言語化能力」です。働き手のキャリアに伴走しながら、支援・指導することで成果を実現していくマネジメントが求められています。
おわりに
「失われた30年」といわれますが、無為無策でやり過ごしてきたわけではありません。30年間の努力の結果として今があります。現在の「円安(円弱)」は、この30年間の成績表のようなものです。過去を嘆くより、むしろ現在の状況を前提として、新たな経済社会をつくるために努力する方が生産的です。中小企業自らの自覚的意志の向上が決定的に求められています。
発表から50年を迎えた「労使見解」の実践で、私たちが次代を創る主体者であることを証明しましょう。