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第4回-II.『労使見解』

 

 

 

 1975年に発表された「人を生かす経営~中小企業における労使関係の見解(労使見解)」。「同友会らしさ」を指し示すこの重要な文書が愛知同友会の方針に取り入れられるようになったのは、実は21世紀に入ってからのことです。

 

 同友会ができた1950~60年代は労働争議が最も激しかった時代で、全国の中小企業にとって労働問題は最重要課題の一つでした。

 

 「労使見解」は実に13年間の討議と各企業の実践によって「あるべき経営姿勢・労使関係」の姿が深められ、1975年3月に中同協の正式文書として発表されました。

 発表後、名古屋同友会では早速「経営指針」が会方針として出されるなど、「労使見解」の謳う「経営の明確な指針」の成文化運動が始まっていきます。

 

 中同協や各地同友会では「労使見解」を最重要文書と位置付け、経営指針と労使関係は切っても切り離せないものとして運動が進められてきました。

 しかし愛知同友会の方針では長年、「労使の信頼関係」や「労使見解」について「労務労働委員会で研究する」と書かれる程度で、具体的な方針はほとんど出されてきませんでした。

 

 この背景として、75年当時代表理事を務めた遠山昌夫氏は「私には労働を売って賃金をもらうという労使の関係の発想そのものがなかった」と述べており、愛知では当初から労使を対立するものではなく「仲間」的に位置付けて、運動が進められたことが見て取れます。

 しかし結果として同時に「人の問題」に関する運動の弱さに繋がったとも思われます。

 

 愛知同友会の方針上に「労使見解を基にした経営」が初めて登場したのは2001年、「労使見解をベースにした指針」は2003年。現在では「同友会らしさ」イコール「労使見解の充分な理解と実践」(2012年度県重点方針)と、愛知同友会の根幹に位置付けられています。

 

(2012年5月14日発行)

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