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第7回(最終回) 障害者問題

 

 

 愛知同友会(名古屋同友会)は創立当初から、障害者が社会の一員として生活し働けることをめざす取り組みを、名古屋市の特殊学級などと協力して行っていましたが、障害者問題への本格的な取り組みは1964年10月17日の常任理事会で、知的障害者のための授産所建設運動の発起人となることを決定した時から始まったといえます。

 

 1968年3月、名古屋グッドウィル工場という授産施設がつくられましたが、その親会社が翌年2月に突然倒産しました。そこで働いていた指導員と知的障害者らが途方に暮れ、困難の中で出会ったのが名古屋同友会でした。

 この出会いを機に名古屋同友会は1969年3月14日「ゆたか共同作業所建設趣意書」を発表し、会内外へ出資を募り、会員企業が職場建設と仕事づくりに協力して、同月に日本初の障害者共同作業所である「ゆたか共同作業所」が発足しました。

 

 1972年には社会福祉法人ゆたか福祉会の設立が認可され、当時の名古屋同友会常任理事の今井保氏が理事長に就任しました。ゆたか福祉会は現在、22種の事業、40か所の拠点、400名の職員、600名の利用定員、年間22億円の収支規模にまで発展しています。

 

 こうした愛知の取り組みもきっかけとして、全国各地で障害者問題の取り組みが広がりました。

 

 中同協が全国運動として障害者問題に本格的に取り組むようになったのは、国際障害者年(1981年)の呼び掛けを背景として1980年9月に催された、第8回青年経営者全国交流会(静岡)の第13分散会「心身障害者とともに生きて」からです。

 この青全交のまとめで「社会というものは、心身障害者を含めて構成されており、この人々がまた健康な人々に人生とは何か、仕事とは何かについて教えてくれる存在になっていますが、効率至上主義のもとで、今の社会では隔絶されています。(中略)今後の同友会運動の中でもっと高い位置づけをし、また正面からとりあげられなければならない(後略)」と、共感と決意が示されました。

 

 1981年3月第11回全研(神奈川)第20分科会は「障害者雇用について」がテーマとされ、「国際障害者年にあたってのアピール」を発表して、障害者問題に積極的に取り組む事を宣言しました。

 

 1982年2月第12回全研(大阪)第15分科会「障害者の就業問題」での論議の中で出された「障害者問題に常時対応できる常設機関の設置」の強い要望をうけて、同年「中同協障害者問題委員会」が発足しました。

 

 1983年には第1回「障害者問題全国交流会(障全交)」が滋賀で開催され、以降障全交は隔年で開催されるようになりました。

 

 愛知同友会では、83年に「福祉対策委員会」を発足、86年には「障害者問題委員会」に改称し、現在も精力的に研究・運動を行っています。

 

 障害者問題委員会の取り組みで、障害者問題は単に障害者の生きる・働く権利をかちとるだけでなく、障害者雇用を通じて「人間いかに生きるべきか」「働くとは何か」「幸せとは何か」という本質的な命題に迫るものとなりました。

 

 同友会の障害者問題への取り組みは、人間尊重の経営をめざす同友会として常に「経営の原点」に立ち返る根本の問題であると同時に、「誰もが人間として働く喜び、生きる喜びをつかめる社会」づくりという、人類の夢を背負った運動でもあるのです。

 

(2012年6月25日発行)

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