時代を創る企業家たち 7.犬飼 健氏

体験は宝なり 行動は力なり

 

07犬飼氏犬飼 健

愛知同友会名誉会員(昭和地区)

(株)犬飼工務店

 

たくさんの仲間との出会い

 愛知同友会への入会は菊水化学工業の遠山さんとの御縁でした。遠山さんにはいろいろご指導を頂きました。「中小企業はこのままではいけない」と遠山さんに言われ、同友会の創立から少し遅れて入会したのです。
 まずは、青年同友会(当時は全県で一つの組織)で第三期(一九七二年)の会長を務めました。そこでの思い出は、西ヨーロッパ歴訪の旅に一カ月半かけて行った事や、全国各地に青年同友会の設立を勧めるため、北海道や福岡など各県に足を運んだことです。さまざまな人と出会い、同友会のおかげで良い友達がたくさんできました。いま思うといい経験をさせてもらったと思います。
 会員増強も頑張りました。私が入会した一九六七年は会勢が百六十五名でした。これから何とか二百名にして御園座でパーティーを開催しようと声があがっていました。
1968年第1回同友会まつり それは後の「第一回同友会祭り」です。深夜〇時まで同友会の事務局で待っていたところ、「入会の印鑑がもらえました」という連絡が入った時の感覚は忘れられません。みんなで万歳を叫んだものです。こんな熱い想いで同友会活動を行ってきたのです。

 

 

体験は宝、行動は力

 オイルショックの時の資金繰りは大変だったのを覚えています。人間は弱い生き物で、頭でわかっていても流されるのです。当時は「行け行けドンドン」の雰囲気があり、私もどんどん手を広げ、気がつくと売上の倍近くに借金が膨れ上がりました。「やばいな」と感じた時にはすでに遅く、業績が急落し、優秀な社員が辞めたり、土地を売りに出しても優良のものしか販売できませんでした。死のうとも思いました。
 しかしこの体験のおかげで、後にバブルで「土地は値段が下がらない」という土地神話が出ていた時期でも、「このままでは危ない」と感じさせてくれ、手持ちの不動産を早期に処分して難を逃れたこともあります。まさに体験は宝なりです。

 

 

個人で指針を作成

 一九七五年。愛知同友会でも経営理念の成文化をやろうと提起されました。しかし当時は、「個人で経営指針の活動をやろう」という風土がありました。つまり会員個人の能力が高かったので、自分だけでできてしまうのです。そこでわざわざ同友会で組織化はしませんでしたが、多くの方は経営指針の成文化を行っていました。
 経営指針は、経営者のみならず社員とも共有すべきもので、科学的な経営を標榜する同友会会員であれば必須なものです。
 最近の傾向で残念なのが、あまり経営理念について強調されていないように思えることです。私の歩みを紹介すれば、毎年いつも手帳に経営指針を書き写しています。当たり前の事は当たり前にしていって欲しいです。

 

 

経営はバランス

 私は会社をただ大きくすれば良いとは思っていません。この考えとは違う方がいるかもしれませんが、会社経営として重要なものはバランスだと思います。そして小さくとも何か光るものを持つ事が大切です。背伸びをしすぎてバランスを崩すと会社の存続が危ぶまれます。
 私達中小企業家は、もっと世界にものが言えるようになっていかなければならないと思います。もっとグローバルになっていかなければ企業は成り立ちません。
 同友会が推進している「中小企業憲章」も世界の趨勢を見据えて、閣議決定までされたと思います。中小企業の声を届かせたいという想いが、今日のような大規模な運動になることで実現しつつあります。今後も、経営者が自ら学び、会社を良くして、さらに世の中の仕組み自体まで変える大きな力に育って行く事を期待します。

 

 

パートナーとして事務局に期待

 同友会も会勢が三千名を超えるなど大きくなりました。今後さらに発展させるためには事務局の役割も大きな鍵になります。同友会の事務局は百戦錬磨の経営者と渡り合うため様々な能力が必要になります。そして会員の信頼の上に立たなければならない難しい仕事といえます。
 求められるのは、広く経済全体の見通しができ、労務や税務の法律の知識があること。同友会の経験を蓄積し有機的に分析したり、マスコミや行政に外部発信すること。また経営者感覚を持ち経営の事がわかること。
 かなり高いハードルかもしれませんが、これらの力を備えることができれば、パートナーとして全幅の信頼を持って話し合いができます。そんな運動家の集団になっていただきたいと思います。

(「同友Aichi」2011年1月1日号掲載)

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犬飼 健(いぬかい たけし)氏
 1932年生まれ。1967年に入会し、青年同友会では第3期(1972年)の会長を務める。現在、名誉会員。

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